月蝕書簡


移動中のiPodでの映画もいけれど、酒飲んで読む本もまた良し

寺山の没後25年。カレの未発表歌集が八戸の本屋さんに沢山並んでいました。以前カフカ的K氏に勧められていて、読んでみようと思ってた矢先、こんなに沢山並んでいるとは、、、、ちょっと八戸も捨てたもんじゃないなと。。
読みながら、何故だかワシは、、、小学生のころの風景が。。。もちろんシュールだけれど、その後ろにわざと、いや、わざとらしく隠れている現実が、ワシの幼少のころの風景と一致するのは、とても不思議な感じがしました。よくよく読んでも、決して同じような景色ではないのに、頭の中に広がる空間が、なぜかワシの住んでいた家の裏だったり、近くの川だったり、消えかけた街灯を持つ路地の暗がりだったり、思わず暗くなってしまった時の冷たい秋の月だったり。。そうしたら、匂いまでしてきました。そこでワシは鶏の水炊きを食っていたのです。



ここは美味しいと思う。と言う焼鳥屋を訪ね、鶏を食いながらふと思う景色とダブるのですが。。。。
ワシがまだ幼少のころ、今夜はうまいものでも食うか!と言う時、なぜかいきなり生きた鶏が庭にいます。大人は軽い念仏のようなものを唱え鉈でクビをはね、逆さにつるして血抜きをし、羽をむしり取ります。小一時間もつるしておくと、すっかり血は抜け解体が可能になるのです。鶏の水炊きの準備に入りますが、まずは食べられるように鶏をバラバラにしなくてはいけません。手際よく、そして美しく肉や内臓が並べられて行きます。不思議な事にワシはそれが怖いとか汚いとか全く感じませんでした。今思えば、「いただきます(命を)」というあたり前の事が目の前で繰り広げられているに過ぎない訳ですから。その場の匂いもまた貴重な経験です。生き物本来の命の匂いです。これらをひっくるめて、水炊きだろうがなんだろうが、食べながらほころぶ大人も子供も満面の笑み。これほどに美味しい鶏を越す代物を、大人になってからまだワシは食べてはいないのです。幼い頃の不確かな味覚の記憶だとは思わない。あれほどふくよかで、慈愛に満ちた美味しさを、何故ワシらは今食べられないのか。。。

骨まで愛して(笑)、次の日は鶏ガラのスープをふんだんに使ったおかずが出る。と言う事は、ワシの記憶が確かなら、鶏冠以外すべて使用していたように思う。日本人の食の文化は「いただきます」に全てが語られるのはこう言う意味があった。クジラが可哀想だからとか、似非捕鯨反対グループがテロまで起こしても、日本人はクジラを食う。捨てる所がないからすべて食う。だから「いただきます」と手を合わせるのだ。かつて白人達はクジラを乱獲した。食う訳ではない。ヒゲをコルセットに使い鯨油を採り、後はすべて捨てた。これが乱獲と言うものでしょ。日本人はすべて食った。クジラに心底感謝し、うまいと思って食う文化を乱獲とは言わない。白人達はその後ろめたさを、日本の捕鯨反対でカモフラージュしようとしているに過ぎないのだ。

鶏だろうが牛だろうがクジラだろうが、ワシらの命を繋ぐ為の「いただきます」という行為に、1点の曇りもないのだ。

Posted: 金 - 3月 21, 2008 at 06:14 午後        




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