明るい話題は・・・・


野球は良いな、特にヤクルト

嫌な事件ばかりの、この春先に、明るい話を一つ。
5月のGWに1969年のヤクルトアトムズが復活します。


思えば小学校4年生の時、プロ野球中継をふと観ると、巨人対ヤクルト。。。世の中、特に田舎では、プロ野球イコール巨人の時代。異常に弱いこのチームでしたが、、ん??ユニフォームの左腕にはアトムマークが。大好きな手塚治の鉄腕アトムのマークがあるではありませんか。この時から、このチームに対しての興味がふつふつ湧きました(笑)。しかし野球少年だったワシが欲しかったヤクルトの野球帽さえ何処にもない時代。どこを向いても王と長嶋(笑)。なおさら応援に力が入り始めます。
ところがです。とにかく弱い。しかも、中継などほとんど無いから新聞のスポーツ欄ばかり見て、「あー、昨日も負けてるよ。。」こんな毎日の連続です。その頃の最高順位はせめて4位くらいかなぁ。。。確か色々な負け試合のワースト記録が沢山ある(笑)。その後手塚プロと色々もめて1974年にはアトムズではなくスワローズに。それでも弱かった(笑)。知らぬ間にワシはすっかり、とんでもないヤクルトフリークになっていたのだ。ひたすら北の国から応援し続けた。ラジヲ中継があればかかさず聞いていたし、ナイターならなおさら。1977年夏も終わりの巨人戦、武上四郎のサヨナラ満塁ホームランはすごかったなぁ・・・しみじみ。ヤクルトの何が好きだったんだろう。。。

そして、ワシらヤクルトファンの奇跡は、1978年に起きたんです!広岡監督率いるヤクルトスワローズは見事初のリーグ優勝、そして日本シリーズ優勝となりまして、ワシら肩身の狭い影の応援団は、やっと日の目を見る事が出来たのです。奇しくもこの年、ワシは浪人中で、優勝決定戦を神宮球場で見る事が出来たんです。中日相手の優勝決定戦はそれはそれは素晴らしい試合でした。涙の勝利投手松岡弘背番号16番の後ろ姿を外野からみながら、流れる歓喜の涙をおさえる事が出来ませんでした。。神宮の外野フェンスをよじ登り、外野へ飛び降り、胴上げのところまで猛ダッシュしました。ああ、思い出してきた!!

ヤクルトの応援席であるライト側外野席には「国鉄スワローズ→サンケイアトムズ→ヤクルトスワローズ初優勝!! 29年間のご支援ありがとう」という旨の横断幕が既に試合前から掲揚された。そして圧倒的な9-0のリードで迎えた9回1アウト1塁から谷沢健一の打球がセカンドゴロからのゲッツーとなり、念願の地元胴上げで初優勝を達成したのであ~る。
決定の瞬間、選手らが1塁ベンチから飛び出して広岡達朗監督を胴上げすると、興奮の余りに客席からグラウンドに飛び出したファンからも祝福の胴上げや拍手をし、優勝記念の表彰式どころの騒ぎではなくなっていた。この中にワシはしっかりと混ざっていたんだ!!
更にバックスクリーンのスコアボードにもセ・リーグ参加の他5チームに対するお礼のコメントを書いた垂れ幕が掲げられた。
▪読売ジャイアンツ「セリーグの繁栄を今日まで築いてくれた伝統の巨人軍ありがとう」
▪阪神タイガース「熱心な浪速気質の声援に大きな刺激を受けました。阪神球団ありがとう」
▪中日ドラゴンズ「ナゴヤ野球のしぶとさがやっと神宮に育ちました。中日球団ありがとう」
▪広島東洋カープ「赤ヘル軍団の活躍が初優勝のよき刺激になりました。広島球団ありがとう」
▪横浜大洋ホエールズ「新球場(横浜スタジアム)進出でセリーグのイメージが一段と上がりました。大洋球団ありがとう」

どうですか(笑)。ヤクルトへの思い入れ。半端じゃないでしょ。東京音頭は朝まで続くんです。。。。
ちなみに、予備校の寮の門限を過ぎて入れなくなったワシは、1階の住人を窓越しに起こし、見事帰寮に成功したのでした。。

ヤクルトの順位

Posted: 木 - 4月 3, 2008 at 12:00 午前        




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