箱物以前・・・


本当に何もない八戸にしたのは誰の所為でもないのだが

連休初日の今日、午前中、修理点検に出していたバイクを取りに行きましたが、帰り道、走っているのにエンジンが停止する怪現象が何度も起き、また、修理です。後半は天気が悪いと言うに。。。。
そこで昼過ぎから、十和田市の現代美術館へ。今開館したばかりの新発売美術館です。特別企画で「オノ・ヨーコ入口」展をしていましたので、そちらがどちらかと言えば目玉で行ってきました。。さすがにすごい人です。オノヨーコの好きな入口から一度だけ入っていいんです(笑)。

 

正直、ワシはこれは好きです。オノヨーコから、直接電話が来るらしい受話器が展示していました。何時来るかわからなくとも、なんかわくわくします。電話が鳴ったら出てくださいと書いてあります。参加型展示ですな。常設展示でも、面白いのがありますが、なんか後数年でもっともっと増えるんだとか・・・。個人的にこ れ大好 きです 。。

完全に八戸はおいてけぼりですね。青森の県立美術館然りです。どうして我が愛する街はこうなんでしょうか??何もない。市民病院跡地にしたって、シャッターおりっぱなしの山車小屋がだから何?誰の責任か考えた時、某組織(笑)なんかのぼんくら頭がすべての発端かな。。八戸の事じゃなく自分の事が最優先だから、結局何もまとまらない訳ね。遠くから聞こえる「所詮大きな漁師町」なんて悔しいじゃないですか。なら、漁師の意地の大八戸展でも企画しろ・・・・・・って、結局青森県で一番沢山県民税を払いながら、まともな箱物がない八戸を皆さんどう思うのかな。。

ワシが八北高生のころ、八戸北高は演劇において全国屈指の高校だったですよ。うちで時々飲んだくれていた小寺先生が監督で、うちのオヤジが部長先生で、全国大会決勝常連になる以前、いきなりの1972年日本一。それからも高校演劇を引っ張って行く存在だったし、卒業生もこの八戸に多くの足跡を残そうと努力もしたですよ。しかし、この八戸はそんな芸術の土壌を本当に簡単に捨てちゃうんだもんね。あの頃からちゃんと引っ張ってきたら日本でも有数の芸術都市にさえなれたのにね。そうそう、白菊学園の演劇部のミュージカルも圧巻だったなぁ。ヒロイン役が七戸幼稚園でワシと一緒だった子で、卒園式で2人して何かお別れの挨拶を読んだのだが。。。。あの時は本当にびっくりした。そんなアートな街八戸だったのに。

これ実は、裏話があると言う。
八戸の町を牽引してきたと自負しているH高校OBは多い。現にワシが某学校に検診に行った時、そこの校長先生は「先生もH高なんでしょ?優秀なH高あればこその八戸だから。私もそうだが、それなりに勉学スポーツに励んで地元を引っ張る優秀な人材はH高出身者。。。」とか話が止まらず、いらいらしてきたので(笑)、「えっ?そうですかね。」と自分の事はあえて言わず(笑)、「地元に残って汗水流して働いて、本気でこの街を住みよくしたいと考えている、昔、学業は余り得意ではなかったけれど、本気で八戸が好きなこの連中が本当の主役じゃないですか?」と反論。加えて「そこに、くだらない学閥や、横やりを入れる偉そうにしている某高校のOBが一番問題なんじゃないですか、この街が良くならないのは。」と半ばけんか腰に付け加えた(笑)。

校長先生、えっという顔をしているのでワシは「ちなみに私はH高じゃないんで」と。もちろんそこからは空白の時間が(笑)。だって、校長先生、それなりの仕事をしているのは皆某高校出身と疑わないんですから。で、話は戻りますが、30年も経ってから当時の状況を聞く機会に出会い聞いた話で恐縮ですが、、、、八戸を北高演劇を基礎として寺山などとリンクさせ演劇芸術の街に少しずつ変えて行こうと言う運気が立った矢先、それなりの地位の人やスポンサーに、某高校OB等からの非常に消極的な横やり発言で話は棚上げに。大きな理由は北高だからと言う事。。。。全くつまんない話で、こうして八戸は何時までたっても、うだつが上がらないと言うこと。。。。。。高校なんぞ何処だっていいじゃねえかと思うが、コダワリストにはなんだかなぁ。。。。

Posted: 土 - 5月 3, 2008 at 11:59 午後        




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