夕べ見た夢を話そう


吉田拓郎の好きな歌でした

テレビタックルを見ていたら、なんかムカムカしてきて(笑)、赤色教育の弊害があるのかなんて大竹が言うのを聞いて、今のおまえが左傾化された教育弊害者だと気がつかない弊害があるだろうにと(笑)少し気を静める。ワシも個人的に日教組はこの国の教育のガンだと思うね。千葉高組の何とかいうせんせ、要は何かあったらこの国にケツをまくって他国へ逃げ出し、日本人を何時でも捨てられるようにしろと言う教育が、この国の将来を見据えた教育とはあきれてモノも言えない(笑)。闘う姿を子供たちに見せれば解るはずとか、二度と戦場に教え子を送らないとか、他人に厳しく自分の事は隠して嘘を言う姿、そう、この共産主義の徹底した個人主義はなんとも薄ら寒い恐怖さえ覚えます。国旗が嫌なら日本人やめろって。それを子供におしつけ教育するんじゃない!!この人達はやはり自分の事しか考えていないガンだな。。
とにもかくにも自分が大事自分が大切。これが今の日本の教育の基本でしょう。世の中良くなる訳が無い。。かくいうワシも、中高で筋金入りの左巻教育を受けた所為か、ホンノ十数年前まで呪いが解けていなかったからね。気がつかせてくれた多くの知識論者に感謝ですよ。

で、気を取り直して(笑)、数日病気でふせっていた時、延々と見続けた夢を話しましょう。「夕べ見た夢を話そう、よくある事かも知れないが、、、、」という拓郎のフレーズをBGMにして。

ワシは昨日、命を落とした。多分。命を落としたと言う確信はないが、真っ暗な縦も横も深さもない闇の中に、平衡感覚を全く気にしないでワシはそこにいた。その時フトと思ったのだ。ワシは昨日命を落とした。。。暑くもなく冷たくもなく、苦しくもなく悲しくもなく、ワシはそこにいた。かつて経験のした事のない限りない静寂とよどみの無い空間ではあるが、確実に深い闇。
しかし、周囲に微かに白くボンヤリとした明かりがぽつりぽつりと点在している。全くまぶしさはない白い明かり。目をこらすと、その中で何やら動き回っている。近づいて見た。と言ってもどうやってそこに行ったかは解らない。覗きたいと思ったら目の前にあった。その中を覗くと、過去の自分がいた。微かにフォーカスがずれてはいる。しかしそこにいるのは若いワシだった。あぁ、記憶のままの大学生の頃のワシだ。一人暮らしの安普請アパートでヘッドホンで音楽を聴いている。ワンカップを飲んでいる。うん?ワシに気がついたのか?ワシはその場を離れた。。。。。
次の明かりを覗く。若いワシがいる、しかし、全く見た事のない部屋、窓の外は見知らぬ風景。どこなんだ?ここは。何故知らないワシがそこにいるのか?学生ではない。既に社会人だがひどく若い。。。。その明かりを離れた。。。
次の明かりは少し赤みがかった白だ。覗く。そこには年老いたワシがいる。勝手のわかるリビングで、老いたワシはテレビを見ている。ワシの位置を飼い犬が気がついたらしい。じっと見ている犬を女房が何がいるんだとこわごわ同じように見ているが、ワシは見えていないようだ。老いた自分を見たくなかったので、次の明かりへ。。。。
どういう事だろう。ここは日本ではないと直感できるが時代が解らない。しかし明らかにそこにいるのはワシだ。ひどく怒っている。周囲のものを傷つけている。皆泣いている。ワシはナンだ?だんだん気が遠くなってきた。以前見た首を切られる様子が今度はワシが遠くから見ている。険しい外国の山中。切られる直前、何かを話てそこにいるワシは涙している。クビが谷底に転がっていった。あぁ、この景色は転がりながら薄れゆく記憶の中にある景色と一致する。。。。。
それぞれの明かりに、それぞれのワシの人生がある。それぞれの明かりを、命を落とした今検証しているワシは幸せなのか。それぞれの明かりの物語を、もっと知りたいもっと感じたい。物語の始まりと終わりは、拡散するビッグバン以降の素粒子の向きに一致すると言うが、命を落とした今、確認できようとは。。。
昨日、命を落としたのは、やはり本当だと思っている。

高熱にうなされていたのは、マチガイナイ。。。



Posted: 月 - 11月 10, 2008 at 12:29 午前        




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