寺山ワールド


毛皮のマリー

カフカ的K氏に誘われ、青森まで出かけ、寺山脚本の「毛皮のマリー」を見に行ってきた。女房殿は、理解のできない、いわばスキマの世界である寺山の世界にこれ以上のめり込む事が心配なのか、わずかに難色を示したが。ワシの伯母が寺山を、ある意味育てた事を知っているにも関わらず、ワシの母親はひどく寺山の事をきらっていた、、と言うよりは、避けていた。やはり、理解のできないスキマの世界であるから。
青森に向かう途中、寺山作品の原風景にもなる三沢市古間木の神社と墓場跡に立ち寄ってから青森へ向う。この神社には、今は神様はいないようだと、とっさに感じた。境内の脇に、ワシが子供の頃から良く拝んで遊んだ、とある碑があるので、懐かしく思って良く良く見てみると。。。。。



うはははは、「禁酒記念」。まいりました。ゴメナサイ。なんじゃこりゃ(笑)。ワシはガキの頃、こんなものを毎日拝んでいたと言うのか(笑)。

毛皮のマリー、、、詳しい紹介など無用でしょうが、寺山の作品が美輪明宏ワールドになる事で、確実に昇華されている。多くの人々はもしかすると三輪ワールドにひかれ来ているのかも知れないけれど、作品の中にどっくりと流れる寺山のキーワード・・・・「母」。マザーコンプレックスではないエディプスコンプレックス。その強烈な愛情に、たじろぐけれど確かに浸るのだ。
そして、そこから逃避した時の、「かくれんぼ」。鬼と隠れる側は、もういいかい?と言う声の後、それぞれの秋がきて、それぞれの冬が来る事を、寺山は決して外したりはしないのだ。
「かくれんぼの鬼とかれざるまま老いて誰をさがしに来る村祭」---田園に死す---
こんな歌、彼以外の誰が歌えよう。。

全国ツアーのこの機会を逃さず、ワシに教えてくれて、チケットをゲットしたカフカ的K氏に感謝!ありがとう。で、今日は本当にこう言う作品に出合わせてくれて、なんてついていたんだと。また一週間、頑張って前向きに仕事をするエネルギーをどうもありがとう。最終幕の時、スタンディングオベーションの鳴り止まない拍手のなか、、ワシは気がつかなかったかもしれないが、カフカ的K氏ともに、舞台にわずかな三輪with寺山オーラを見、少し頂いたか(笑)。よし。



Posted: 日 - 5月 31, 2009 at 11:11 午後        




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