何のために


目的がわかりにくい為、方法論が目的になる愚行

どんな組織でも、どんな会議でも、ともすると大激論になるけれど、なんだか疲れるばかりの会議ってあるじゃないですか。大きな政治会議から小さな会議まで。果てはどうでも良いメーリングリストの果てまでね。原則論に従うばかりに目的を見失う。原則論が重要なのはイデオロギーで現場じゃないのは分かっているのだろうか。人の考えや意見は常に流動的であることが特徴なのだけれど、軌道修正できるのも人の特徴。そう言うファジーな1/f係数は絶対必要なわけです。

みんなの意見を平等に聞いて、どうするか今後の事を議論しましょう、、、、なんて、聞こえは良いけれどこれは話にならない。意見を聞く目的は何だ?聞くことが目的じゃないですかこれでは。妙な民主主義が、戦後特にGHQ色を強く受けた方々に蔓延して組織運営の足かせになっている事ってよく経験しませんか?
肝心なのは、強烈なイニシアチブを持った「頭(ヘッド)」が一定の方向性を示唆し、共鳴し協力できる人が補佐する。組織暴走を食い止めるためには目付役が必要だから監事のようなポジションも必要という事。ベクトルの軌道修正のために、「みんなの意見を聞き参考にする」のが筋で、これなら理解できるでしょ。
みんなの意見を参考にしてから、さてどうしようかと方向性を決めるのはおかしいって事が分からないかなぁ。それじゃ組織なんかイランでしょ。仲良しグループで十分。

どんな組織の事業も、何かをすると言うことが目的として大前提。その目的達成の為に方法論をあれこれ議論するのは正常な組織運営。おかしな平等権利に踊らされては、何も進歩しないしどんなに低いハードルも越えられない事が分からないですかねぇ。「頭」の方向がおかしいなら次はやめれば良いし、ちがう「頭」が来ればいいだけの話。
しかし、この時確執が残ると言うことで、結局「頭」は妥協とうやむやな状況がやむない事とあきらめる場合が多くなるのが通例か。なんだ、やっぱり仲良しグループ。戦うことが悪いことだと徹底的にすり込まれた戦後教育で、戦わずして得た棚ぼた平和のごとくの偽の正常ささえも疲弊してきます。

こんな組織運営で、例えば歯科界など、、、、これから先、良くなるわけがない。おかしな平等意識や間違った民主主義を見直す機会って、そうそうある物じゃないから、こういう事を過激だと思われても言い続けることが大切かな。。

それにしても、無益に疲労する会議って嫌ですね(笑)。
・・・・・・・と、毒はいても何もかわらないのですが。。。。

Posted: 水 - 9月 9, 2009 at 10:10 午後        




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