ヤクルトスワローズ


小川監督代行の潔さよ芯の強さよ

先般、古田敦也氏のトークショウに行って来ました。あるメル友(笑)から教えて頂き、40年以上にわたるアトムズ時代からのヤクルトファン(スワローズファン)の一人として、ここで行かなくてどうする。と言うことで、仕事を早めに切り上げ八戸公会堂まで出かけたのでした。しかし、ギリギリまで仕事をしていたのもあって、席は2階席のうんと上の方だから、顔なんか見えやしない。でも、声は確かに古田なのだ(笑)。

ワシがヤクルトファンになったきっかけは、小学4年の夏、遠足に持っていく水筒を、七戸町の小さな雑貨屋に買いに行った。色々ならんでいる、、と言っても限りはあるが、水筒の男の子用のコーナーは、川上王長島のプリントものばかり。なんかさぁ、普通と違う変な子のワシはそれが嫌で嫌で(笑)。何気に見た新聞のテレビ欄野球中継は、ジャイアンツ対サンケイアトムズ。テレビを見ると腕にはあの大好きな鉄腕アトムマークがあるじゃないか。こんなクールな球団を応援しないなんてどうかしていると、小4のワシは目覚めたのでした。次の年、アトムズは歴史に残る95敗というダントツ最下位でシーズンを終わり、ワシはクラス中から結構小馬鹿にされ、野球は巨人以外はおまけだと(笑)。辛い時代が長く続きます(笑)。

北海高校出身の若松が大好きで、小さな大打者とまで言われ、北国っ子でもプロになれるんだという希望を、三沢高校の太田幸司以来の希望の星として頑張ってきたんですね。いや、別にワシがプロの選手になるとかそう言う希望じゃなくね(笑)。
昭和53年、広岡監督の下、万年最下位とバカにされ続けたのヤクルトスワローズは、ついにリーグ優勝を果たし日本シリーズでも優勝したのです。この年、ワシは浪人中で、池袋にいた。当然神宮に、対中日の優勝決定戦を見に行き、松岡投手が見事完投、マウンド上での胴上げに参加すべく、ワシは外野フェンスを乗り越えグランドに降り立ち、胴上げ目指して一番で全力で走り出したのでした。間に合いはしませんでしたが、その姿は、熱狂的ファンということで見事プロ野球ニュースで放送され、八戸に所用で帰り母校の北高に出向いた時、かつての担任に「おい見たぞ、おまえは野球を見に東京いっているのか?」と嫌らしく怒られたのでした(笑)。

古田氏は天才ですから、あまりみんなの参考にはならないかもしれませんが、話は半分。もしかすると人に隠れて死ぬほどの努力をしていたに違いないかもしれませんが、そんなところを微塵も見せないのが天才。まあ、すごいですね。
そんな古田氏の話は、実に面白かったですよ。教えて頂いたメル友某NKMR先生、本当に感謝です(*^_^*)。

http://www.youtube.com/watch?v=QuIoPcKg5Io&feature=related

Posted: 金 - 7月 2, 2010 at 06:45 午後        




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