青森再び


とても不思議な体験

いつものように書類めくりのため青森に車で向かいました。いつも通る小さな集落の日当たりのいい場所にその墓地はあります。青森に行くたびその墓地のわきを走るとワシの車にフッと乗り込んでくる、年の頃なら10歳前後の少女がいます。彼女ははにかみながらうつむき加減に、座席からとどききれない足をゆらゆらさせて、白いワンピースをふわりとさせて小ぶりの麦わら帽子を目深にかぶり直しながら青森まで憑いて来るんですね。ちっとも怖い感じや嫌な感じはしません。運転席の真後ろに座る彼女はやはりはにかみながら楽しそうに車窓に流れる色を楽しんでいるようです。もういつものことで慣れっこになってしまいました。彼女のことを考えたり想像したりすると、胸がきゅっとします。何か遠い過去にであったのか、あるいは自分の子供の頃の記憶の子なのか、いずれにせよ、激しく胸が泣くのです。悲しさではありません。懐かしい景色にやっとであったようなそんな涙です。そして、何故かとても純粋なすがすがしい気持ちになったりします。

ですから、彼女が車の後部座席に乗り込む事が、青森へ向かう時の当たり前の出来事になりました。そんな昨日もさくさくと仕事を終え、いつものように帰り道、さようならと別れようとすると彼女が拒むのです。悲しそうではありませんでしたが、そう、やはりはにかみながら、今日は降りないと。。ワシはふと、思うところがあるのなら憑いてきてもいいよと囁きました。彼女はいつもとちがう車窓に少し興奮気味に、目を大きく見開きほほえんだり。
いつものように第2みちのくへ曲がる道を、何故か唐突にまっすぐ行きました。理由はありません。しかしまっすぐ進みました。その先はかつての三沢の古間木。ワシは小さき頃はここに住んでおり、ワシらのお墓は寺山の映画の舞台になった駅前の小高い丘の斜面の墓地だったのですが、二十数年前に八戸に移したのでした。そんな古間木の小さな時に遊んだ神社を通りかかった時、ぎょっとしたんです。鎮守の森の木々という木々が全て伐採され、酷く明るくなった境内が住む人の亡くなった社を廃墟のように映し出しています。何故??木を切る??酷いじゃないか??思わず車を降り、酷く驚き慌てて写真を撮りました。木々は切られてからさほど日数は立っていないので、何かまだ痛々しい切り株です。

驚いているワシの後ろから、彼女は静かに憑いてきたのですが、仰天しているワシとは対照的に、彼女は穏やかな笑顔で感謝の言葉をかすかに残したかと思うと、みるみる光の塊になり、白くまぶしく消えていきました。ワシ自身ややも驚いたのですけれど、何かとても幸せな気分になり静かに笑っていたのでした。今更の神社の状況は最悪でも、彼女がここに来たかったことが分かって、そして彼女がこの状況を教えてくれた事がうれしくて、笑いながらかすかに涙しました。ありがとうと。




その後八戸に向かったのですけれど、彼女はもういません。そんなワシには実はまだ疑問が残っていました。では彼女にしてみると、何故あの場所あの神社なのか。あの状況をワシに教え、しかし、何故消えていったのか。。。あっ!

ここからは三沢から八戸に向かう間にワシの頭の中に降りてきた言葉です。
古間木一帯は、ワシらに縁のある人達のパワーゾーンでしょう。時空トリップも可能ではないかと思われるような所もまだあるのです。二十数年前ワシらのお墓を掘り起こし、和尚を呼んで読経の中、出てくる数々の人骨は昔の土葬の名残として当然でした。そんな中とても小さなお骨と備品が出てきました。小さな頭蓋骨から想像するに10歳前後でしょうか。名前はY内Y子、10歳。。我が家の名字ではないのです。それはいわゆる戦災孤児と聞きました。身寄りがなく我が家で育てていたのだそうですが、病気で亡くなったと。彼女もまた、かつて遠い昔この神社で遊んだ子供達の一人なんです。ワシの生まれるずっと前の話です。
その墓堀を手伝ったG氏は隣町の小さな集落の出身で、墓の引っ越し作業を最後まで片付けていたのですがふと見ると墓石の傍らに小さな女の子が宝物のようにしていたキレイなブローチを見つけ、信心深い彼は墓から出てきたモノだから粗末には出来ないと、自分の実家の墓地に供養して埋めたのです。その場所はいつもワシが青森に向かう度通る小さな日の当たる場所・・・・・。遠いDNAの記憶の彼方から、彼女の思いは時間を飛び越えてワシを見つけ出し、ワシはそれに答えたと言うことじゃないでしょうか。光になったとは言え、鮮明にまだ覚えている彼女の見かけの存在は、やはり思い出すたび胸が少しだけ切なくなるのでした。

そんな場所だからこそ、寺山も惹かれたのだろうかとも、ふと思ったり。。。素敵な体験をありがとう・・・・・。

Posted: 木 - 10月 21, 2010 at 11:31 午後        




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