怒濤の2週間


あれよあれよという間でした

2週間前から宮古市田老地区に調査に入り、被災地の歯科需要の実態を確認した後、チームを組んでの救急診療開始からすでに2週間経ち3週間目に入りました。昨日日曜のチームの報告を聞きがてら判断すると、診療に関してはもう通常に収束していると言う事です。この異例の速さの原因は、多分、マンパワーの充実と歯科材料機材の一般診療所にさえ負けず劣らずの充実だったかもしれません。避難している700余名もこれで一安心でしょうか。緊急診療所の責任者山本先生も本当にお疲れ様でした。これから本格的に仮設診療所の開設に向け頑張ってください。必要な材料などはまだまだ送れますので大丈夫です。

先週一週間は、衛生士学校の講義が始まったり、歯科医師会の会長選挙だったり、震災で伸びていたインプラントの集中オペだったり、まあ、忙しかったわけです。選挙運動も何もしなかったので勝てる気はしませんでしたが、ワシが初めから主張していた「学閥排除と郡市歯科医師会の自立」に賛同して頂けたのは投票者の1/3以上、34票でした。比較的若い先生方も、閥を無視するわけにはいかないでしょうけれど、この間の被災地での無礼などは、典型的な若い先生方の責任。親分連中とケンカする若者がいないから、親分連中が傍若無人になるんですね。閥の悪い面であるわけです。あと、年配の先生にも同意は得られなかったですね(笑)。分かります。
それでも1/3の先生方が同意して頂いたのは非常に嬉しく思います。ありがとうございました。

中央へ、現場の声を届ける作業って、そんなに難しい事じゃないし、会おうと思えばどんな議員さんも官僚も会ってくれますよ。問題解決だって出来ない訳じゃ無い。上意下達に慣れている組織の弊害が、ワシらの現場には蔓延しています。というか、八戸くんだりの田舎の歯科医師会がそんなことをする必要なし、穏やかにお上の指示を待つ、、、が今回の選挙の民意。ですから直接行動など夢のまた夢だし、ましてやお上に逆らったらどんな仕返しをされるか分からない、、なんて、本気で考えて、ワシの意見に猛烈に反対する人も居ました。皆さんがそう考えるのですから、ワシは何も反論などしません。そういう風に頑張って頂きたい。
歯科医師会なんて言うのはね、、と、某ジャーナリストの言った通りの結末に、変に納得するワシです(笑)。

ワシらのこの業界、不思議な世界です。加えて、この疲弊は歯科医師自身が作ったモノであると意外と分かっているしそう考えているのに、閥の枠からはみ出して行動する人って本当に少ないから、逆に赤だと誤解されたり(笑)。

衛生士学校の授業が始まりましたが、衛生士の業務範囲をあえて狭めていた歯科医師です。上記の問題も含め、一体いつからそうなんだろうと本当に考えさせられる一週間でした。

さ、これで心配事はなくなりました。今年の目標は、自院の診療のさらなる充実(国際評価を受けたいですね)、インプラント国際学会2回以上、セネガルへの歯科ボランティア参加、パラグアイの日本人歯科事情調査。歯科医師会から脱離して身軽になった分、昨年以上に自身に対して動きたいですな。あ、山形高木先生の思うつぼになった(笑)。
さ、これから、青森書類めくりの旅です。明日帰ります。。

Posted: 月 - 4月 18, 2011 at 10:27 午前        




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