アート展


小さな美術館ミモザ

5月5日はこどもの日です。子供達がもう大きいワシらは直接関係有りませんので、世の子供中心の喧噪が懐かしく思えます。天候はいまいちでしたが、かねてから招待されていた「大庭れいじ」氏のアート展へ。氏と知り合ったのはかれこれ5~6年前でしょうか。人と知り合うのに理屈など要らなく、そうですね、ワシに言わせれば細胞の共鳴でしょうか。それは単なる電子メールの文言の中にも埋め込まれます。ですから、たかが書き込みの文章でも、共鳴できるか否かは読んで分かるというモノです。

ワシらの関わりに深く根ざしたところの陽のあたる場所には、寺山修司がいたりワシのおばさんの中野トクがいたり、あるいは見るものや触れるもの全てが、時間軸を越えてリンクしていたり。それはそれは不思議な偶然や、思い起こすとの因果など、多くの体験をさせて頂いた。決してそれはオカルトではなくましてや怪しい宗教でもなく。
氏の感性の表現は、聴覚障害という後戻りできない先天など微塵もない、と言うか武器としての、小説であり短歌であり絵画であったりする。時にそれは共鳴しない人にはうっとうしく映ったり、反感を買ったりするかもしれないが、だからこそアート側が人を見分ける大切なファクターなのではないかと思ったりするわけです。
どんな偉大なアーティストでも、初めからそうであった試しはない。そのうち、大きな号数のモノがうちの診療室に飾られればと思うのですよ。皆さんも是非、階上の小さな美術館ミモザまで(~5/19まで)、足を運んでみては如何でしょうか。





震災で大きな被害を受けた八戸港が元に戻りつつあります。大型船の解体が始まり、その切断された船体に過去の重労働が忍ばれますね。蟹工船のフレーズを思い出すかの船底の断面にもの悲しさを感じます。って、八戸のイカ船がそうだという訳じゃ無いんですよ(笑)。何かとても新しくも辛い風景を切り取ってきました。



夕方、犬を連れ馬淵川河川敷へ。まだまだ、津波の傷跡が残っています。ふと見ると道の真ん中にひからびたカレイが転がっています。有ってはいけない場所のこのオブジェは、多分津波で巻き込まれた小さな命でしょうか。



酷く穏やかな連休最終日、こんな小さな幸せこそ恐ろしくありがたい物だと実感したわけです。大庭氏の全てのアートに流れる「世界の平和」が恒久的に実現できる世界を創るのは、アートしかないだろうといつも考えているのですよ・・・・。そんな暢気な社会が早く形成されて欲しいものです。

Posted: 金 - 5月 6, 2011 at 10:41 午前        




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