北はこの日を知っているのではないか


三島由紀夫氏の決行日の2日前に因果関係はあるのか

本日11月25日は、三島氏が自害された日になるのだが、1970年ワシは小学5年生でした。鍵っ子だったワシは、この日家に帰るとテレビを付けたと記憶している。テレビの向こうで何か酷く大騒ぎが起きている。午前中から昼過ぎに掛けての顛末を、ビデオがあまりきちんと機能していなかった当時なので、幾度も幾度も録音された話を繰り返していたのを覚えている。しかし、報道ヘリの音でかき消され何を言っているのか全く分からなかった。今となってみれば、もしマイクがあればまた自衛隊員の思いも違った物になっていたのかなと思うのですよ。大人になりふと接した彼の産経新聞へのコメントに心を打たれた記憶があります。
「日本はなくなって、その代わりに、無機的な、空っぽな、ニュートラルな、中間色の、富裕な、抜目がない、或る経済大国が極東の一角に残るだろう」
経済大国ではなくなったかもしれないが、40年前の彼のこの予言は的確に「今」を捉えていたことに身震いします。9条を守る会とか言う新興宗教のような団体が今でも跋扈するこの国ですが、彼はこの9条に関し自衛隊は「違憲の存在」と見ており、「日本人の魂の腐敗、道義の頽廃の根本原因をなすもっとも悪質の欺瞞」と糾弾する。

そうだよなぁ、ワシら日本人はこの三島由紀夫と司馬遼太郎と、日本の文学界に君臨する巨大な頭のどちらを選んだかと言えば、見事に、サヨクである司馬遼太郎を選んだ歴史があるし、そのおかげで今の左傾化は、マスコミを含み実を成している。彼の文章の津々浦々に隠れ潜む左翼であるがの正義に幼き頃から心打たれるように教育させられてきた。割腹の三島はマゾヒスティックなヒロイズムに浸る、そして時に変態的フェチズムに浸る、おかしな愛国者というレッテルを貼ることで、戦後の大きな堕落した日本人の心を封印していたに違いない。その証拠に司馬遼太郎に続く大江健三郎のような極左がノーベル賞を受賞するのである。左は平和のシンボルとなり、しかし、その平和の根底には、組織や国家と言った物は否定され、三島の言う「無機質な今を享楽する徹底的な個」の大いなる存在であることは間違いない。
まあ、いずれにしろ歴史的にそれをワシらは選択した結果なのだが。。。。残念で心が折れる。

北の暴挙を、事もあろうかテレビで知る我が国の総理なのである。左とはそういう物だと言うことを心しておきたい。極端に唐突で野暮で個の不利益には思いの外重足で、キレイなスローガンと他人からもらった平和の裏に驚くような思想管理を行い、そしてしたたか。こう言う国で良いのか、40年前からの思いが三島と共にオーバーラップしている心ある武士達はまだ多いに違いないと思うのだが。。北への制裁意志を加えてもなお、我が国の将来に、ワシのような末端でさえ、この日ばかりは特に、多いに悩むのであるが。。。。





Posted: 木 - 11月 25, 2010 at 05:24 午後        




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