盛岡へそして港へそしてスーパームーン


1週間ぶりの港の復興

所用で盛岡まで行きました。青い森鉄道と岩手銀河鉄道で各駅停車行くわけですが、思いの外すいているのはどうしてなのかなと。。。車はガソリンがないので皆さんほとんど出歩いていませんので電車は混むだろうと予測していたのですが・・・・・。鉄道保安員が乗り込んで路線のチェックを逐一しているのですね。でも、何かいい感じです。田舎の静かな駅をとことこと走るのって、心が静かになります。



修理に出していた車を受け取り、地震前に満タンでしかもトレーラーで持っていってもらったおかげで、盛岡から、何とか国道4号線を北上して八戸まで帰ってきました。あまり車は走っていないし、すっかり道も整備されていたものだから、もしかすると高速より快適かもしれません、だって、低燃費走行ですから余計そうかも。
帰宅した後、お墓の様子を見るために港を経由して見ました。震災から1週間、物凄い速さで復興が進んでいます。日本人は本当にすごいモノです。そんな中、まだ置いてきぼりのモノは・・・・・・・。道ばたのこれら大きな船体は、ばらばらに解体して始末するのでしょうけれど、何か痛々しくて。。八戸の津波は8メートル。恐ろしかったわけですよ。




お墓の帰り、友人の海の家がある白浜海岸海水浴場へ。悲惨なモノでした。此処はまだしばらくかかりそうです。



ついでに海猫の蕪島はと、よってみると、、無残な状態です。



神社自体は全く問題ないのですが(神様はすごいね)その周囲の集落は見る影もありません。2~3メートルほどの堤防が、ざっくりと飛ばされているのを見ると、なるほど釜石のスーパー堤防10メートルがこともなげに崩壊したのは分かるというものです。

これでも八戸は被災地としてはまだまだいい方で、死者も八戸だけならまだ一名。ただ、港中を回って思うんですが、相当数の人達が此処で働いていたと思います。皆、これほど見事に避難して死者行方不明者僅かに2名というのは、悲惨の大きさや悲惨さより、迅速な避難誘導と津波が来るまでの時間的猶予という幸運が重なったおかげだと思っています。皆の素晴らしい行動に感謝感動。。。。
昨晩はスーパームーン。。全ての被災者のこれからの早い復興と幸福をお祈りいたしました。。ご覧の通り節電で街灯は消えています。不要な明かりは、今ワシの住んでいる周囲の町にありません。華美な皎々とした明かりは排除されました。何か昔の、そう、子供の頃の夜の町ってこんな感じだったなぁと、これぐらいのレベルまでエネルギー生活レベルを下げても、何も問題ないのじゃないかな。夜9時ともなればほとんどの店が閉店です。これじゃあダメなんですか?24時間はただのエゴじゃぁないんですか?必要以上の「便利」が自分の首を絞めているよと、今回の震災が教えてくれたような気がしました。。。








Posted: 月 - 3月 21, 2011 at 03:03 午後        




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