救急歯科医療チーム八戸


ファーストフェーズミッションクリア

4月2日、被災者の口腔内具体的現地調査の為宮古市田老へ向かいました。早朝に八戸を出発して3時間弱、大きな被害のある野田村・田野畑村を過ぎ、田老へ到着。朝9時過ぎに田老の医療を一手に引き受けているK医師と面会しました。我々への彼の要求は、被災後2週間経ち一般医療の第一段階が過ぎふと被災者一人一人の状況を観察すると、口腔内の劣悪な環境の多さに初めて気がついたということです。避難生活をしている人は約700名。津波で流され義歯もない人が多く、あっても使えない人、衛生状況が悪く歯周治療が必要だと思われる人、こんな被災者が驚くほど多いわけです。食事もままならないという訴えが内科に多く来るために、歯科医師は一体何をしているのかというフラストレーションがたまります。そんな時、やはり現地調査入りしていた青森県保険医協会の参与とK医師が話す機会があって、K医師の熱い心に答えるかのように八戸に打診、その後八戸の勉強会であるHERZ会 が中心となり超組織的に参加者を募り、歯科医師は、熊坂(覚)、熊坂(克)、薄木、柄本、岡田、吉田(洋一)、小澤、松館、8名。他に、弘前からN先生、盛岡花巻から5名。衛生士は総勢6名、技工士2名で、翌4月3日、田老に乗り込みました。

前日の現地調査で重要な項目は、被災者個別の歯科的要求の調査集計で、それによりどういう器財やどういう材料をどれくらい用意するかが決まります。いきなり行くのはあまり意味がないと考えていました。宮古市の歯科医師会とも事前協議をし、我々のミッションは当日1日限りのファーストフェーズトリートメント及びリペアに限定し、津波によって流出した義歯の新規作製症例は地元歯科医師会にゆだねることとしました。市長が歯科医師ですから、市長とも朝、内容に関して電話で話をしました。これとて、何か政治的駆け引きもあり辛い立場は重々承知の上でも、現場患者置いてきぼりの感は否めないと言う感想を参加者皆が持ちました。
そのことを良く理解しているK医師は、全ての責任は私がとるとまで言い切り、八戸チームの継続診療を願っていたのですが、我々も地元歯科医師会との軋轢は避けたいので、当然その指示下に入ることに。本来であれば、要請を受諾したチーフとしてワシが統合責任者として考えられる全てのミッションを提示するべきなのです。しかしそれでは、当然地元歯科医師会も色々考えているわけですから、真っ向から立場がなくなります。

此処で、いつも何処でもこう言う問題の影で置き去りになる患者さんです。入れ歯を失ってすでに2週間以上経過し、明日からもまだ無い生活が数週間続くんです。水曜に隣町から巡回診療車が来るといいます。一体何人そこで診療可能なのでしょう。地元歯科医師会は目の前の被災者で一杯のはずですから、県外からのヘルプを頼まないとすれば、被災患者は待ち続けなければならないのでしょうか。彼らはどちらかというと、一般の患者さんに比較してVIP待遇するべきじゃないのかなと思っていますけれど。現状の調査不足のまま、無料バスで市内まで来てくれれば治療はどんどん進むのは理解できますけれど、全てを失った被災者は本当に行けるのか調査したほうが良くありませんか?
いずれにせよ、今までよりもより良い方向に向かうことを願うばかりです。地元歯科医師会も本当に大変な事でしょう。田老地区だけではなく他にも悲惨な地区は沢山あると言います。だからこそ、遠い八戸あたりから救援が是非必要と考えるのはワシだけだろうか・・・。

素晴らしい連携と、これ以上は無理という合理的治療処置のおかげで、患者35名の治療は終了し、ワシらのミッションは目的を十二分に達成して終了しました。これまでにない救急診療マニュアルの構築とプロトコルが作成できそうな予感がします。もちろん既存組織には出来ないフットワークの軽さや合理的行動力のエネルギーはまだまだ持ち合わせていますから、2次3次の要請に何時でも答えることが出来るわけで、超組織的なヘルプを待っています。
花巻から参加した歯科医師が言うのです。「早く来たかったけれど、色々なしがらみで来ることが出来なかった。今回八戸チームに参加できてよかった。」

・・・被災患者の治療より大切なしがらみってなんですか?と、少し怒ったように衛生士に聞かれ、返答に困るワシがいました。

緊急事態に巻き込まれた絶望の淵にある人を真に救うのは、「情報」でも「言葉」でも、ましてや「法律」や「ルール」そして「プライド」や「立場」などではありません。「行為」、そう、アクションそのものなのだと、、ワシは考えています。

Posted: 月 - 4月 4, 2011 at 01:00 午後        




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